こんにちは。
タイトルが意味わからないと思いますが、
先日職場でお世話になった方が亡くなったんです。
その方は上司のお父様で、生まれも育ちも北杜市。
お通夜、告別式どちらも参列したのですが
たくさんの人が来ていてここに根付いて頑張ってこられたんだなぁと改めて思いました。
(バイクが好きな方だったので描いてみた)
移住者と地元の方では、亡くなったあとの動きがだいぶ違うことにも驚きました。
都会の人、田舎に住む移住者を含め組合に入っていなければ普通の流れなんですが
組合に入っているとすごく大変なようで…
まず親戚の次にすぐ知らせなくてはいけない町内の中心の方々(場所によって呼び方がある)にまず報告し、その方がそれぞれ分担して町内に知らせる。
それも、電話とかではなく会いに行かないといけないそう。
そして葬儀の日程もその方々と予定を合わせて行う。
もちろん受付や食事の準備などをお願いするからなのだけど、とにかく大変そうだった。
都会の人間にとって、亡くなってまず町内に知らせることはない。
だって同じマンションに誰が住んでるかさえ知らないんだから。
親戚と友人、職場、お世話になった方くらいだろう。
田舎では、葬儀は町で行う。
でも私はなんかいいな、と思った。
亡くなって辛く、どうしたらいいかわからない時、町の人が動いてくれたらなんと心強いか。
縄文時代は小さなコミュニティーで暮らし、埋葬ももちろんその仲間たちみんなで行ったはず。
支え合っていた町の仲間たち。
でも時代は変わり、ひとりひとりが離れていった。
女性も男性も変わらない仕事をし、社会に出て休みなく働いている。
もう、町内や地域のコミュニティーではなくなっている。
そんな中、一定の習わしだけが残っている。
悪いことではないけれど、どうか負担にならないように変化していってほしい。
お墓も、何年か役員というか係みたいなのにならなくてはいけないらしく掃除や集まりに参加する。
お寺に払う額も、管理費は東京のほうが高いが
数年に一度、お寺の修繕などで何十万と請求がきたりすると聞いた。
その人は韮崎の人だけど、お墓を持つのをやめたらしい。
それを聞いて、うちの母も山梨にお墓をたてるのをやめた。
そもそもこちらはこちらで組合の人しか立てられないとかありそう。
と、最近は変わってきてはいるんだろうけど
今だに続く風習に驚いた現代人でした。
若い人たちが離れないよう、生きやすい町になってほしい。
告別式の前にスタッフ4人でお蕎麦食べました。
「そば処 三分一」
の鴨南蛮。
三分一湧水のお蕎麦、美味しいしお店も入りやすくて好き。
4人で突然訪問してもすぐ出てくる安心感。
人数いるときおすすめ☺︎
寒い日が続いてるのでどうか皆さんお身体お大事に。。
ではでは今日はこの辺で。